尺八という楽器は、一体何なのか。はじめての方へ、尺八についてご紹介します。

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尺八の魅力

※※このページの内容は、筆者自身迷いながら執筆を進め、とりあえずの途中経過のような状態です。イイタイコトをうまく表現できていないと感じる部分もあったりするので、今後大幅な改変や削除の可能性があります。(2004.08.27記す)

究極のアナログです。

 尺八の主な楽器的特徴は、以下の2つです。

 吹奏楽の木管楽器の多くが植物の茎製の「リード」に振動を加えて音を出しているのに対し、尺八は、エアリードと呼ばれる、空気の弁を振動させることにより音を出します。

 吹奏楽で用いられる全ての楽器が、自分の指で孔をおさえることがない(キィというボタンを指で押すことにより、そこからのびた機械が孔をふさぐ)のに対して、尺八は、全て自分の指で孔をおさえます。

 この2つの特徴により導かれた尺八独自の方向性は、「音を、自ら創り出すこと」ということです。

 尺八の音色は、演奏者が意図的に音色・音質を変化させることが可能です。
 最も顕著な例が、尺八の代表的な手法「ムラ息」です。通常の管楽器でいう「オーバーブロー」でありミスショットに分類されるべきものですが、尺八はこれを意図的に行い、一つの表現として昇華させてしまいます。

 また、異なる音程を切れ目なく移動させる(ポルタメント)ことにより、旋律の枠組みを超えた旋律(複数の音階を経る旋律が、実は旋律ではなく旋律を構成する一要素に過ぎないという発想の転換:ナヤシ、スリ、二段スリなど)や、楽器に動作を加えること自体を一つの旋律としてしまうこと(一打三返し、ツキユリなど)など、アナログ性を十分に活用した表現が可能になります。

 尺八は、楽器として用意されている部分以外にこそ、魅力があります。

 楽器の性能を全て引き出すことだけが、ゴールではありません。

 音を練り上げ、自己の宇宙を創り出すことに、尺八奏者は全霊を傾けます。


受け継がれる「禅」の心

 竹の筒に孔を開けただけの未完成さは、完成形を既定しません。

 日本人は武道、書道、茶道といった、芸能に合理性を求めず精神修養を謳い、独自の価値観を創造してきました。それらの根底を貫くのは、ストイックに一芸の精進に没頭する、「禅」の心です。

 古の頃、禅宗の法器として日本にもたらされた尺八はまさにこの禅の心を真髄に戴き、楽器というカテゴリを超越して「尺八道」としての燦然たる価値観を誇っています。

 と、書いてしまうと、やっぱり尺八は伝統ばりばりの、敷居うんと高めの特殊なものなんだ、という認識を持たせてしまうようですが、ある意味、それは間違っていません。

 近年、純粋に楽器としての可能性、演奏の機会を模索する試みが数多く行われていますが、手にする楽器が尺八である以上、どんな形式の音楽を奏でるにしろ、尺八が本質的に内包するこの「道」としての文化観に、意識無意識を問わす全ての尺八プレイヤーは共鳴せざるを得ないものと考えます。

 尺八の本質は、「禅」の心です。

 禅宗の修行道具としてスタートした楽器は、奇遇にもその禅の心を本質に宿して、現在なお平成のプレイヤーたちに受け継がれています。




そして、始めてみよう尺八

 スタートは、きっかけは何でもよいのです。

 音色が落ち着くからとか、映画で流れていたのを自分でも吹きたいからとか、物置に尺八が転がっていたからとか、そんな他愛のないきっかけでよいのです。

 このページがある日偶然目に留まったから、ほんのそれだけの事実でも、まずは興味を、あるいは存在に対しての認識を、持っていただくことから始まると思っています。

 尺八にはじめて息を吹き込んだ瞬間から、あなたの禅の心は目覚めます。

 それは音を創り出すという行為を触媒として、意識の中で成長を続けます。

 音楽性の追求とか、伝統の継承とか、それらは副次的なものに過ぎないのかもしれません。

 日本人の魂に共鳴する楽器を携える、それが尺八、我々の生きざまです。 





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